中日研究家という言葉2
野球ファンの10の特質、とでも言うべきコピペがある。
シカゴ・エコノミック紙のロバート・ブラッグス編集長のファン評
1:ファンとは、掌を返すことに関してはメジャー級である。
2:ファンとは、自分たちの誰より経験豊富なプロの監督よりも、自分のほうが采配が上手いと思っている。
3:ファンとは、選手獲得にはお金がいらないと思っている。
4:ファンとは、トレードは相手があってこそ成立するものという常識を持ち合わせていない。
5:ファンとは、球団は自分たちの意に沿うように動かなければダメ球団だと思っている。
6:ファンとは、起用されない若手は起用されているベテランより能力が高いと思っている。
7:ファンとは、起用されないベテランは起用されている若手より能力が高いと思っている。
8:ファンとは、応援が免罪符だと思っている。
9:ファンとは、負けが込んでいる時、往々にして理想論が現実と摩り替わる。
10:ファンとは、客観と主観の区別がつかない。
いつ頃からネットに流布しているのかは知らないが、ゼロ年代の2ちゃんねるで何度か目にしたような気がする。
(ちなみに、私のリサーチ能力と英語力では英文のソースを見つけられなかった。もしかしたら日本で創作されたコピペなのかもしれない。)
どうしてこんな古いコピペを引っ張り出したのかというと、「中日ファン」と「中日研究家」の違いについて自分なりに考えてみたいと思ったからだ。ファンと研究家は、何が違うのだろうか。
正直、項目1〜7には大して心を動かされなかった。皮肉は利いているが、それだけだ。「ファンの中でもタチの悪い人」の特徴は説明していても、「ファンと研究家の違い」の説明にはなっていないだろう。
(中日研究家だって采配批判はするし、特定の若手を推したり掌を返して批判したりするのではないか。程度の差はあれ)
8は意味がよく分からなかった。おそらく「応援を免罪符にして個人攻撃をする」ということなのだろう。
これは一応、ファンと研究家の違いになるだろうか。研究家は批判はしても感情的にはならない。決して個人攻撃はしない。自分の発言には責任をもち、応援を免罪符にすることはない。
9はかなり本質的なポイントなのではないか。
ファンは理想と現実の区別がつかなくなることがある。しかし、研究家は決して両者を混同しない。現実と理想が食い違ったとしても、現実の方を直視するのだ。
(それ以前に、今のドラゴンズにとっての理想って何だ? 弱すぎるチームは理想像すらイメージできないぞ? という問題が存在するのかもしれない)
10も本質を突いているだろう。
主観と客観の区別がつくこと。おそらく、これがファンと研究家の最大の違いだ。
前回の記事にも書いたが、研究家は常に客観的な視点を忘れない。事実と意見の境界を知っている。どこまでが事実で、どこからが自分の意見なのかを知っている。
では、上記コピペを改変してまとめてみよう。
(中日)研究家とは、
- 掌を返すこともあり、
- 自分たちの誰より経験豊富なプロの監督よりも、自分のほうが采配が上手いと思っているかもしれず、
- 選手獲得にはお金がいらないと思っているかもしれず、
- トレードは相手があってこそ成立するものという常識を持ち合わせていないかもしれず、
- 球団は自分たちの意に沿うように動かなければダメ球団だと思っているかもしれず、
- 起用されない若手は起用されているベテランより能力が高いと思っているかもしれず、
- 起用されないベテランは起用されている若手より能力が高いと思っているかもしれないが、
- 応援を免罪符にした個人攻撃はせず、
- 負けが込んでいる時でも、理想論と現実を摩り替えることはなく、
- 客観と主観の区別がきちんとついている
……そういう人たちのことである。
でも、これだと「暗黒時代のチームを応援している」という要素が漏れてしまっているか? うーむ。