中日研究家という言葉



「中日研究家」というネットスラングがある。
 中日ドラゴンズを応援している人、頻繁に中日ドラゴンズの試合を観戦する人、要するに「中日ファン」のことである。
 より正確には中日ファンが自分たちを指して(おそらく自虐的に)使う言葉である。

 なぜ素直にファンと言わず「研究家」などと自称するのか。
 答えは簡単だ。ドラゴンズというチームが競争力を欠くから。端的に言えば、弱いから。*1

 どれだけ熱心に応援しても、勝ち試合が見られることは少ない。応援にかけたエネルギーに対して、見返りがあまりにも乏しい。

好きで応援してるんだから見返りなんか求めるな。

どんな時にも応援し続けるのが本当のファンというものだ。

——という「正論」もあるが、常にそんな風に考えられるわけじゃない。少しは見返りが欲しくなる時だってあるよ、人間だもの。

 自分はドラゴンズというチームを「応援」しているのではなく、「研究」しているのだ。そう思わないとやっていられない。

 研究家なのだから、常に客観的な視点を忘れてはならない。感情的になってはならない。

 アキーノがフライを落球したら「この事象には再現性があると分かりました。中日研究の道がまた一歩前進しました」と言う。
 満塁のチャンスで点が入らなかったら「この事象は過去5年、10年という単位で観測され続けています。満塁無得点の法則に今日も異状はありません」と言う。
 涌井秀章が好投しても負け投手になったら「この事象も非常に再現性が高いと分かりました。今日も無援護の法則に乱れはありません。宇宙はつつがなく存在しています」と言う。

 グラウンドで起きていることと、それを見ている自分の感情をどれだけ分離できるか。
 小さな出来事に対して、どれだけ驚きや神秘を見出せるか。
 ドラゴンズというチームを見守り続けるための鍵は、そこにある。


………「中日研究家」という言葉は、以上のような思考過程で生まれたのだろう。たぶん。

*1:しかも、ランナーは出すのに点が入らないという非常にストレスの溜まる負け方が多い。